20代の頃テレビのADやっていました。
21、22にかけてです。
初めはよく怒られてました。
ていうか、かなり怒られていました。今では放送できないレベルで(笑)
で、あるときなにを怒られているのかわかりました。
仕事するとはどういうことかということについてもわかりました。
また怒られたことがきっかけ。結構派手に(笑)
そこから、うまく回せるようになりまして。
todoもどんどん出てくる感じでしたし、スケジューリングも出来ました。なんか一気に全部見えた。ほんと「なんか」とつける感じ。
俺もう全部わかってたんだ、と思った。
今もよく覚えてますけど、帰りの電車の中でほんとにパァ~ン!と一気に見えました。
その後は会社の人たちに信頼していただけまして。
あまり怒られることなく(たまにですw)今思えば任されていたようです。
で、最近思ったのは、なにか勉強したわけでもないのに、なんであんなにわかったのかなと。
冒頭の年齢見てお分かりのように、僕は大学行っていません。
一応現役受験はしましたけど、大学行く気なかったのでまともに勉強していません。
このころ読んでいたのは、週刊プロレスだとかボクシングマガジン、ジャンプ、東スポ、そんなもんです(笑)
ビジネス書どころか本をまともに読んでいない。
要するビジネストレーニング的なものはなにも積んでいない。研修もセミナーもなにも受けていません。
なのに、仕事上なにを求められているのか、なにが必要か全部わかった。
要するに自分で気がつけた。
おかげさまで辞める時も引き止められまして。先輩主催でお別れ会もやっていただきました。
今思えば有難いことですよ。
その後もそのときのように「見える」「わかる」「気づける」ことあります。
で、で、(笑)
ノウハウ身につけることの意味ってどれだけあんのかな?と思っています。
それが、先の記事「あまり勉強しないほうがいい」を書いたきっかけ。
なにも勉強してないのに自分で気がついていけるということがあったから。
もちろんまるっきりなにもしなくていいと言っているのではなく、必要な勉強はあるでしょうし、訓練しないといけないものもある。
すべてを否定はしていません。
でもどの程度かな?という気がしていて。
基準も「不安だから」とか「これやれば就職有利だ」などではなく、自分にとってやりたいかどうかで選ぶといいかな。
そのほうが学んだ事を使えるようになると思うんです。
主体性持って見られると、自分にとっていいもの選べるんじゃないかなという気がします。
つらつら書いていて、まとまり欠いてますけど(笑)
とにかく言いたいのは、ゴチャゴチャやるより「自分に委ねる」ほうがいいんじゃないかなということ。
外に答え求めすぎてない?
自分がそうなっていたんですけど、このAD時代を振り返っても自分で気づく、発見する力は誰でもあるんじゃないかと思います。
為末大さんがご自身のYouTubeチャンネルで「無意識に明け渡す」とおっしゃっていたんですけどそれです。
ティモシー・ガルウェイの「インナーゲーム」がこれに近い内容だと思いますが、いろんな人がいってることでもありますね。
例えばブルース・リーの「考えるな、感じるんだ」も僕はこれじゃないかと思っています。「あんま考えすぎると気づけなくなるよ」っていう感じ。
彼は神格化されがちなんですけど、いってることはこういうことなんじゃないかなと思います。
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