壁にも鉱脈にもぶち当たっていた。
最初の広告代理店時代
なにを売っているのかわからない苦悩
それまでテレビのアシスタントディレクター、出版編集者とやってみたい仕事は経験してきました。
正直やりたいことがない状態で。
編集者として面接に行ったガソリンスタンド業界新聞社の社長さんから「弟がやってる広告代理店の営業やってみないか」といわれまして。「編集者で採用はできないんだけど」と(笑)
広告代理店てよくわからないけどやってみようと。正直なところ仕事はもうなんでもよかったのです(笑)
仕事はパチンコ業界誌やガソリンスタンドの業界紙(その新聞社のですね)に広告をとってくること。
企業にアプローチしこういう雑誌ですよ~と説明、広告掲載を決めてもらう。
ほんとに飛び込み営業というものをやっていました。
なのですが・・僕自身はお客様になにを売っているのかがよくわからず・・
その雑誌に広告が掲載されても商品が売れたというわけでもない。
お金を頂いても、どのような価値を提供しているのかさっぱりわからない。
自分がなにを売ってのかよくわからないわけです。
社長に「出版社の広告部になれ」といわれたのですが、当時はその意味もわかりませんでした。
テレビや出版社のときと違い、仕事する理由もお金以外に見出せない。仕事の意義がわからず熱意が持てない。
かといって急にやめても失業してしまう。その葛藤でかなり苦しみました。
そんなことで成績を出せるわけもなく、というよりつまらないので3年目に辞めることにしました。
広告業にも営業にも向いてないな、と思いました。
今思えば自分の鉱脈も見つけていた
ですが入社当時、広告代理店に入ったのだからとコピーライターの本を読んでみました。
それがたまたま仲畑貴志さんの「コピーライターになるには」。それが面白かったのです。
CMは知っていても仲畑さんのことは存じ上げていませんでした。
皆さんと同じくコピーライターとはどんな仕事なのかも知らない状態。
その本でコピーライターとはキャッチコピーだけでなく広告全般を企画したり作っている人と知りました。
当時はお金も時間もあったので、脚本家の学校(ジツは脚本家が夢でしたw)であったりボクシングジムであったり、
絵画教室であったりいろいろ通っていました。極真空手に見学も(見学までですw)
それでコピーライターの講座も行ってみようと。広告批評さんの講座です。
当時はこういう仕事をしようとは思っていなかったのですが面白かったのでしょう。
皆勤しましたし課題もすべて提出しました。
脚本は早々に自分には無理、と諦めたのですが(笑)
そして課題で僕の作品が選ばれまして…すべてCMの課題です。
毎回5作品ほど選ばれプリントされて全員に配られるのですが、その中に自分の下手な絵コンテがある。
マジか!と驚きました。しかもそれが3回も。
こう考えて作りましたと皆の前で説明し、講師に「ここがいい」「ここにアイデアあるんだ」と解説される・・その喜び。
(あわせて「ここが弱い」などとダメ出しもあるのですがw)
選んで下さったのは、
資生堂でご活躍されていたコピーライター小野田隆雄さんや、当時電通で気鋭のCMプランナーだった岡康道さん。
2回は岡さんです。そして一対一でご丁寧なアドバイスも。
そのアドバイスは今でも鮮明に覚えています。
(仲畑さん同様、当時は講師の方を誰一人存じ上げていませんでした。スイマセンw)
講座にはヒットCMを連発していた佐藤雅彦さんの授業もありました。
佐藤さんは「スコーン」や「ポリンキー」「バザールでござーる」などのCM、また「だんご3兄弟」「ピタゴラスイッチ」の制作者でもあります。プレイステーションの「IQ」というゲームも作らています。
佐藤さんはかなり印象に残っています。じかにお話を聞けるなんてそうそうないので今思えば貴重でしたね。
やりたいことがない、仕事がつまらないという壁にぶつかり、その中で広告制作って面白いなという鉱脈に触れた。
でもそんな仕事自分にできるわけない・・高卒の中途で電通になんか入れるわけないし・・
内面に起こる様々なことにぶち当たっていた時期といえるでしょう。
(今もだろ、といわれそうですがw)